zipless : Kataoka
Web Designer / Web Director / UX UI Designer / Marketing Planner / Art Director / Creative Director / DTP Designer WEB構築をメインとしたクリエイティブに関わることを制作からマーケティングまでやってしまう感じです。
岡山県瀬戸内市出身。
デザインを開始したのは夜の仕事に不安を感じてきた18歳後半から。「なんか、楽そうでできそうな昼の仕事に復帰するか」と思っていたとき、テレビ番組「ワンダフル」で特集されていた「稼げる職業」としてWEBデザイナーが紹介されていたのがキッカケ。その後、独学でWEBとAdobe製品を勉強し、ベンチャー企業就職を経て早々にフリーランスへ。執筆・寄稿「MdN」(https://www.mdn.co.jp/)やWEB Designing(マイナビ出版)など。
Resume
Early Years
高校卒業後、1年間銀座で夜の仕事に就く。PCには一切興味はなくデザインにも興味は一切なかった。バブル後ということもあり、働いていたピアノバーが赤坂に移転するタイミングで退店。カジノ・クラブでもバイトをして生計を立てる。その後、得意だった英語を活かすべく外語専門学校に入学。そこでもOAの授業ではクラス最下位でPCにはまったく興味がなかった。その後、imodeの登場でインターネットを知り、Dreamcastを使用して自分のサイトをはじめて制作。「待受画面サイト」として雑誌などに掲載されたのとテレビでWebデザイナーという職業を知ったのをキッカケに独学でWebを勉強しはじめる。
2001-2002
ベンチャー企業に入社担当は「デザイナー補佐」。Webデザインはもちろん、ソフト盤面デザインやパッケージデザインなど幅広く担当。わずか1年弱の勤務だったがWebデザイナーという仕事ですすんで行こうと決意を固めた。
2003
友人の紹介で江戸開府400東京の仕事を1年を通して見て欲しいということもあり、わずか1年の就職の後フリーランスへ。江戸開府イベントの仕事の他にも、Webの運用・保守で業務委託として出勤をすることに。
2004-2006
Webの運用・保守の仕事を主に、業務委託として丸紅株式会社の事業会社である株式会社ヴェクタント(旧社名グローバルソリューション)にて勤務。通常業務はプロバイダーサイトの運営保守、リニューアル。Web要員は自分のみ。CMSがまだ登場していない時代なのでDreamweaverの機能を使用して3つのサイトを運用・保守。
その後2004年に、プロバイダー事業を日本ユニシス株式会社の事業会社であるユニアデックス株式会社(旧社名日本ユニシス情報システム株式会社)へ事業譲渡。運用・保守人員としてユニシス情報システムで勤務することに。運用・保守するサービスサイトも増え、新サービス「光ファイバーインターネットサービス提供」などの企画なども参加。
2006-2011
ふたたびフリーランスへ。父親の定年を機に「0円起業ブーム」から家族で起業。家族企業内でWeb制作・コンサルタントを担当。数多くの制作やコンサルタントを手がける。特に、FutureShopをはじめとするECサイト構築やLP制作などが増えた時代でもあり、ネット通販系の仕事が激増。さまざまなサービスや製品にWeb制作を通じて触れることができることに、喜びを感じていた時期でもあります。
2011.3.11
東日本大震災。
直接被災したわけではないが、エンタメ系や紙系の仕事がすべて中止となる。さらに輪番停電地域に居たため、自分の仕事が電気や経済に左右されることを痛感。自分が「人のためにできること」を考える期間となる。
2011
業務委託として、株式会社WOOROM開校の職業訓練校のWeb講師に。
震災後に赤坂プリンスホテルなど、福島から都内へ被災した人たちを受け入れる流れになり被災者向け職業訓練校が開校した時期。講師業に就いてみたかったのと、自分のスキルが少しでも社会貢献になればと考えた結果、6ヶ月コースの2クラス(朝/夜)を2クール持つことに。クラスの就職率が90%以上を超える優良校になるなどして他校の講師やハローワークの職員なども特別に受講するクラスとなった。
2012
講師業を修了し、就職をすることに。テレビCMでお馴染みの「くらし安心 クラシアン」へ就職。当時、Web担当は不在状態でひとりWeb部署でリニューアルとWeb広告を提案・実施する。公式サイトのリニューアルや日本全国の支社をつなぐコンテンツ、ECサイトやグループ会社サイトなどを制作。Webマーケティングの影響力と組織の団結力など、フリーランスでは体験することのできない一体感で自社サービスを盛り上げることの楽しさを知る。
2013-2016
CRMシステムを選定している際に、そのまま引き抜かれ株式会社LTV-Innovation(現 株式会社コアフォース)へと転職。理由は、代表の小村富士夫のインキュベート先であったということ。20代後半は起業家たちに憧れていた部分があり、その時に小村富士夫のビジネスを間近に見れるチャンス、さらにネットだけに留まらない「通販の基礎」を学べる絶好の機会だと思い転職を即決。通販特価型CRMシステム「LTV-Lab」を軸に、ネット通販のLTVを向上させるコンサルティングやLP/メール/販促シナリオ/紙媒体チラシなど制作だけでなくデータ分析・解析をクリエィティブに必ず落とし込むようになる。
2016-2019
30代最期の転職としていままで経験したことのない「物を売らずに、お金をあつめる」寄付分野へ。代表は長期投資のパイオニア 澤上篤人。通販で培ってきた「顧客」へのフォローを「支援者」へ変えることの大変さと日本における寄付文化の醸成を目標に公益財団法人お金をまわそう基金で働き始めることに。公益財団とはいえベンチャー企業の立ち上げと大差ない状態。wordpressをカート化するWoocommerceとStripeで寄付サイトを構築。寄付集めのサイト基盤を作ると同時に、紙・冊子・動画などありとあらゆるアプローチを新規支援者・既存支援者に向けて発信。データ分析やテストを繰り返した後、安定した寄付を受け付けることに成功。
その後、さわかみ財団に転籍。
さわかみグループの3つの財団のクリエイティブを一手に担当することとなる。特に毎年日本の名所(城など)で開催される野外オペラ ジャパン・オペラ・フェスティヴァルではサイトはもちろん、プログラム(冊子)や販促チラシなど印刷系の業務も増え「ひとりでいかに効率よく制作をできるか」が課題となる。
2020~
コロナウイルスが世界的な流行となる年に転職。
某メーカーのWEB統括となる。
WoocommerceでのEC構築に加えて、WPML多言語を導入したグローバルプロモーションサイトの巨大リニューアルを3人のスタッフで構築。
現在に至る。